本日は帰国する日である。7時頃には全員起床をして、部屋の整理を始めた。
リネン関係や寝具の提出等を行い、続けて朝食も摂る。最終的に身支度が整い
ゴミと荷物を持ちながら廊下に出ると、M君が台車を率いてきたところであっ
た。おかげでタクシー迄楽に移動できた。フロントには奥さんも見送りに来て
くれて、無事にゲストハウスを後にすることが出来た。この滞在期間中諸注意
を始めとして、ほとんど全ての行動が無事に終えられたのは、M君や奥さんの
功績大で、感謝するのみである。初日と違ったコースをタクシーはかなりのス
ピードで、一路ケネディ空港へと進む。さっきまで居た場所の摩天楼群が
片側の窓から見えている。将来の再訪を強く願望してお別れである。風は強め
だったが、イェローキャブはハイウェイを快走していく。途中シェアスタジアム
の横も通過するが、誰もいない様子だ,特大のパラボラアンテナが外側に
設置してあるのが、妙に印象的である。ここから衛星中継の電波が発信されるわけだ。
国内線空港を通過して暫く走ると、予定通りにケネディ空港へ到着。この間3~40分である。
JALのカウンターに行くと、既にチェックインは始まっていた。アメリカからの
出国手続きはすごく簡単で、パスポートに付いている出国カードを切り離すだけである。
搭乗券をもらい荷物を預けてハイジャック検査を済ませると後は時間になるま
で待つ。ただし此処も、全面禁煙である。それだけは勘弁して貰いたいと思う
のだが、仕方がない。手持ちぶさたに成りつつも辛抱辛抱。搭乗する飛行機
はJAL 005便12時30分発の成田行きである。やっと搭乗が始まり席に着いて
みると往きとほぽ同様の場所であり、51Kであった。今回も禁煙席なので、
成田までの13時間は少々厳しいモノがあるだろう。往きのスチュワーデスさん
には山口百恵風の人がいたが、帰りには中村あずさにそっくりな人がいた。本
人よりも若そうだったが。ほぽ定刻通りに飛行機は飛び立ち再び機上の人
となった。前面のスクリーンやTVには、成田までの時間や経路図及び現在位
置等の情報が表される。「往きは良い良い、帰りは怖い」の如く、勝手が既に分
かっていたので到着まで確かに長かった。しかしいくら飛んでも、昼間ばかり
で夜が来ない。日付変更線を越えて帰るので、14時間の時差がいきなり飛ん
でしまって成田に着いたのは4月3日の午後3時45分。やはり変な感じであ
る。なにはともあれ無事に着陸。やれやれ現実が戻ってきてしまった..。
空港での手続きも本当にスムースに終了することが出来たのだが、税関を素通
りできるとは思っていなかったので土産品はちょっと少なかったかも。帰りの電車は京成の
普通特急で帰ってきたのだが、時間待ちなどで手聞取り重いカバンを二つ抱えてや
っと家にたどり着いたのは午後7時を過ぎていた。何はともあれ、我が家に無事に
帰ることが出来た。家族も愛犬も久しぶりの再会に喜んでくれた。今後暫らくの間は
迷惑かもしれないが、時差ぼけとニューヨークかぶれで周囲を困らせるかもしれない。
完
P.S.
帰国した翌日に聞いた話では、M君に Baby が誕生。
叔父、叔母に初めての孫が生まれました。
日本名は亮君、米国名はリチャード君
なにはともあれ、おめでとう !!
この旅行から既に12年の歳月が流れ、色々な変化が当然の如く世界や自分の周りで起きました。今になって1番の大変化は2001/9/11でのワールドトレーディングセンターのテロ事件によるツインタワー崩壊に尽きると思われます。旅客機が激突後に世界の誰があのようなビル崩壊を想像したのだろうかと思うと、残念かつ悔やまれます。
1996年現地で再会した5人は、誕生した亮君も含め全員が今2008年日本に於いて、健在な日々を過ごせている幸せを改めて感謝している次第です。